2回目の起業

今回、このような場でお伝えすることを非常に悩みましたが、どうして僕がこのような人間になったかも含め、皆様に僕の熱い思いを知って頂きたいと思い、決断を致しました。

※この後の長文、また文章能力の低さに読みづらいかと思いますが、ぜひ最後まで読んで頂けると幸いです。

・プロフィール

赤尾 翼(あかお つばさ) / 1986年生まれ 東京都出身

男3兄弟の末っ子として生まれた甘えん坊で人見知りの5人家族になります。

現在は、"otona de kodomo"の子ども服販売を経営している株式会社オーチの代表で、二児のパパになります。


僕は元々(幼少期〜小学生)、かなり裕福な家庭で育ち、お手伝いさんや運転手がいることが当たり前、世界中に別荘があるなど、裕福自慢をしたらキリがない家庭でした。


多分その家庭ってこともあり、欲しい物は何でも手に入りますが、親がいないことはよくあり、兄弟も年が離れているので、いつも一人で遊んでいました。また昔は意味もわからず”社長”になることが当たり前だと思い込んでいました。


そんなある日、母が入院しました。確か小学校低学年でしたね。


自分は意味もわからず、毎朝違うお手伝いさんに起こされ、毎晩キングサイズのベットで1人で寝ていました。


もう本当に寂しくて…病院に電話したことを覚えています。

「ママどこにいるの?なんで帰ってこないの?」

「ごめんね、もうすぐ帰るからね。パパは?」

「いないよ…」

「そっか。ごめんね。もう少し待っててね。もうすぐ帰るから」


大人になってから聞いたのですが、あのとき母は子宮がんで危険な状態だったそうです。

ちなみに今は元気になってピンピンしています。


あの時代はとにかく寂しかったですね。


美味しいものはいっぱい食べましたが、好きなものは何なのかわからないですし、欲しいものは与えられすぎて何が欲しいのかわからない…そんな感覚がありました。


まぁ、普通にパパと公園に行ったり、キャッチボールをしたかったです。


でも、あのときですね。急に自分の中で変わらないとダメだと思ったんですよ。


なぜかわからないですが、いきなり自分を客観的に見ていて、このまま可哀想って思われる人生、悲劇のヒーローは嫌だと思ったんですよね。


そこでまずは寂しさを紛らわそうと、誰とでも喋っていたら、いつのまにか人見知りを克服していき、気づいたら目立つことが好きになり、前に出ることが得意になっていきました。


その反面、良い意味でも悪い意味でも目立つようになりましたけどね。

勉強はろくにせずに自分の会社のロゴを書いたり、友達と遊んでばっかりいました。


そんな頭の悪くて生意気な状態で中学生を向かえたあるとき、父が事業に失敗。


多額の借金が残り、父は兄弟を一人づつ個別に呼んで、


「今までのような暮らしはできなくなった」

「翼、ごめんな」


って泣いて話をしていました。


僕はキョトンと意味もわからず「泣かなくて大丈夫だよ」って一言。

僕は自分の部屋が20坪以上あるような部屋から、家族全員川の字で寝る様な暮らしに変わってしまいました。


今まで滅多に家にいたことがない父が毎日いました。

あの頃は中学3年生の反抗期、正直父親はバカだなって、ダセェなって思ってました。


でも、そんな毎日はアッと言う間に終わり、すぐに父が亡くなりました。

(出張中に事故死です。理由は未だに詳しく知りませんが、知らないようにしています。)


今思うと、あんな毎日いたときにもっと話せばよかったなって、良い暮らしをさせてくれて「有難う」って言いたかったなって、後悔しています。


多分、人生感が大きく変わった瞬間ですかね。


ただ、母親は今までの暮らしが変わっても環境が変わってはいけないと必死に働いて高校を卒業させてもらいました。


あのときは何も考えてなかったですが、本当に感謝しています。


あのときからですね。

「人間いつ死ぬかわからないし、人生は簡単に変わってしまう」

って思うようになりました。


そこから必死で将来のことを考え、意識をもって働き、20歳で小売販売会社を起業することになりました。

そのときは子ども服から婦人服、雑貨など幅広く展開していました。

今思うと少し頑張ったかな。


ちなみに20歳の時に今の妻と出会って同棲しています。


この頃は若いってこともあり、売上が順調だとすぐに店舗を出したり、自分の考えは一切間違ってないと思い込み、俺様経営で店舗を出し続け、業績を上げていきました。


そんなときです。


東北大震災により東北の店舗が半壊。

事業悪化や精神的不良もあって25歳の時に閉業


もうあまり覚えてないくらい辛かったです。


色んなことを悩み、悔やみ、赤ん坊のように泣きました…人生で一番。


初めてポジティブな性格がネガティブになったときですね。


こんな自分が生きてても意味がないって本気で思いました。


もう頭の中は最悪の結末ばかり思い浮かべていました。


そんなときです。


父のことを思い出しました。


規模は全然違いますが、こんな気持ちだったのかなって。

こんな気持ちのときに僕はあの頃何してたんだろ。って …


でも、僕には彼女(現妻)や家族がいて、あんな思いを絶対させてはいけないと

フッと我に返りました。


10年越しですが、父が教えてくれたみたいですね。

感謝です。


このときにまた成長した気がします。

「人間は簡単には死なないし、死ねない」って。


その後、バイトなどをしながら心のリハビリをして、一番安定のないときに結婚。

子どもが生まれ、安定しなければと毎日もがきながら、サラリーマン生活を送っていました。


家庭生活に不満はなく、多分普通に見たら幸せな結婚生活です。


ですが、何か自分はできないかと考えてたある日、


妻に

「何でそんな毎日しかめっ面してんの?」

「あんたはそんな頭よくないでしょ」

「そんな相手の土俵ばっかり考えてないで、自分の土俵で戦いなよ」

って言われました。


サラッと言われましたが、僕にはビリビリって電撃が走りました。


このままではと思い、すぐに自分の土俵を探す旅に出ました。


やっぱり自分は物売りの性格。「小売業をやろう!」

そこから今までの経験と行動で辿り着いたのが子ども服でした。


世界の動向を見ても圧倒的に差がある日本の子ども服。

なぜ日本には老舗しかないのか。

なぜデザインが変わらないのか。

なぜ新しいブランドができにくいのか。

すごく疑問がいっぱいある子ども服業界。


色々調べた結果、僕の考えは、根底は横の繋がりなのかなって思いました。

切磋琢磨してライバルたちに負けないように努力するアパレル業界。

仲良しこよしで一緒に盛り上げていきましょうと言ってる子ども服業界。

結果は歴然です。


また若い人の参入が少ないのもデザインの低下に繋がっていると思います。


そんな日本の子ども服を本気で変えたいと思い、デザインと価格にとことんこだわったブランド"otona de kodomo"を作り、2017年の5月に会社を立ち上げました。


正直、このご時世で子ども服は難しいですし、不安ばかりあります。

でも、誰かがやらなければ変わりませんし、時代を変える必要があります。


会社の名前の由来は(株式会社オーチ = おうち = お家)です。

これから何十年何百年先も続けていけるみんなの会社にしていきたいと本気で考えています。


応援して頂けるようにこれからも精進して参りますので、

皆さま、"株式会社オーチ"、"otona de kodomo"、”赤尾 翼”をどうか宜しくお願い致します。

長女と次女です。僕の原動力の源です。

パパ頑張るからね。



長文ですが、最後まで読んで頂きまして誠に有難うございました。


赤尾 翼



ちなみにこの話は氷山の一角程度です。


赤尾 翼

20歳の時にアパレル小売会社を起業。 25歳で震災により閉業。 30歳で2回目の子ども服小売会社を起業。 エンジェル投資家の見分け方や投資・融資方法を実際の経験談でアドバイス致します。 また過去には店舗リーシング、設計、施工手配、仕入れ、商品デザイン、SNSなどを一人で行なったことで幅広い相談に対応致します。 中国でOEMや仕入れ、買い付け代行なども請け負っております。 ご相談お待ちしております。

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